1980年 バビロンロッカー/ジャンキータウン

宣戦布告


最上段左のパトカーの上に横たわるスナップは、11月神大でのもの。右は鳥取砂丘でのフォトセッション。まさに音の旅団をイメージしていた。

1980年、リザードは、トラブル続きだった。右上のカラーライブ写真では、オベージョンのエレアコを私が弾いているが、これは、ギタリスト失踪直後のライブ。

バビロンロッカーの録音だけでなく、キャンセルできないスケジュールがいくつもあり、予定していたキーボード、コーの脱退を遅らせてもらいライブをこなした。右は、三人になったリザード。浅草国際劇場横の楽屋口でのスナップ。バビロンロッカー裏のジャケット撮影ロケの一枚。

1980 カタストロフの年

1980年は旅の中で全てが起こった。バンドはツアーを続けていた。

メンバーの脱退劇があり、東名でメンバーを乗せた機材車が横転、大破する事故もあり、メンバーの加入があり、神大でのオールナイトコンサート終了後、翌朝、私が逮捕されるまで、全てが旅の中で起きたような気がする。

バビロンロッカーのA面(アルバムでは、このA面がバビロンロッカーであり、B面はジャンキータウンという別の作品になっているが……)に刻み込まれたポジティブなツアーバンドの在りようは、こうした日常がもたらしてくれた風光である。

日本のあちこちを歩いて得たものは、太陽、光の力だった。この力に出会ったことが、後年、私を思索にのめりこませることになる。しかし、それは、別の物語だ。

 

 

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