| 2007/05/31
霊鷲山からの眺め
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霊鷲山 仮名読みで『れいしゅさん』あるいは『りょうしゅせん』実在する地名である。鷲の峰ともいう。
のちに編纂された大乗仏典の多くで、釈迦説法の場所として設定している聖地だ。私が春にはまった法華経もここを舞台に展開する。
法華経という書名は特定の鎌倉以降の新興宗派を連想させるところがよろしくないが問題は内容である。
ペダンティックな人間には、つまらない、そう感ぜられるようだが、私には、そうとうに面白かった。
冒頭からそうとうに面白い。
カースト制度を否定した釈迦だが、そんな彼の足もとで、もう一つのヒエラルキーをつくりつつあった。そんな時期を物語は想定しているようだ。
新しいヒエラルキーも昔日に似ていた。バラモン=出家修行者を頂上に置いての階層化である。漢訳して上座部といわれる幹部と下部構成者、そしてその下に在家支援者達がいた。
或る日、釈迦は、その教団ヒエラルキーを否定するような言葉を吐く。物語はそこから始まる。
この辺りの理解には小乗と大乗という仏教系知識が要求されるが、ここではそれを無視して話を進める。とどのつまりである。長年、古くから釈迦のそばで解脱のために修行してきたものも、在家の信者にしても、その獲得する高み、ものは同じひとつのものだ、と釈迦は言ったのだ。これが大乗の宣揚である。歴史上、はじめて大乗仏教が宣言された文言がここにある。
ながらく釈迦にしたがって苦行し、その結果、自分は悟りを得ており、他の衆生に比して高次の存在となっている、そう想っていた修行者達は、釈迦の言葉に反発して山を去る。そして、彼らが去ったのを確認して初めて釈迦は大乗の教え、白い白蓮の教えを詳しく語り始める。そして、われわれが悟りの果てに得るものは、ただ一つの大きな乗り物なのだ、と説くにいたるわけだ。
この山でとかれたとされる教えが、後に、チベットから中国、つまりアジア北西部を経由して日本にまで響く。サンスクリットの仏典は、多くこの系統だ。大乗仏典に多くをよっている日本の仏教はこの山上からはじまったといっていい。
一方、バーリ語のものは、それよりさらに早いスッタニパータやダンパマダなど、いわゆる小乗のもので、こちらはインドから東南方向へと発展してマレー半島を染めるようにして拡がった。この教えが我が国に届いたのは、そうとう遅くなってからだった。ちなみに、私が小学校五年生の時にはじめて買った岩波文庫は、その一つ、数少ない漢訳経である法句経(ダンパマダの部分)だった。
ながながと仏教について書いたが、日曜日のライブのことを語るには、これが不可欠だった。
日曜の夜、ラストに演奏した『庭園』の歌詞にある、
花が開き世界が起こる、
このフレーズも実は道元禅師がのこした大著『正法眼蔵』に収録された禅語に依拠するものだ。世界の実相を肯定的に歌った一節である。
かくあるごとく仏教に対する理解はリザード歌詞の享受に不可欠なものである。
この視点でながめると、私個人の解脱をテーマにした『ジムノペディア』が小乗のアルバムなら『岩石庭園』は大乗のアルバムといえる。
音楽的にも一聴してポップ、それでいて演奏するとスピアメンの水沢君が言うごとく、かなり煩雑なところがある。 この様式そのものが大乗的なものを宣揚していよう。 ロック文化におけるあらゆるジャンルの秀逸な部分を吸収し、明晰なアレンジを施し、トリオの全員の音が必要不可欠でありながら、どこにも欠損したところがない。こういう音楽的な有様は、なかなかに『在り難い』ものなのだ。ライブで演奏するのが困難なのは、オーケストラがはいっていたり、シーケンサーが必要だからではなく、上演する者の魂に、緊張感を維持出来る強靭さが求められるからだ。つよい心の力が必要だからである。
日曜日のスピアメンが力を尽くしながら一方で冷静に自己を振り返りうるのは、そのような構造が大きく作用していよう。硬質な心をもつ演奏者にとっては、ある意味、そうとうに刺激的な経験なのである。
演奏はどうであったか、といえば、私はまさに上出来だったと想うのだ。曖昧な演奏で客をのせるようなことをせず、ひたすらカタチを描き、ラストには、大輪の白い花が咲いたろう。実際に花を見た人も多くいるはずだ。白い大きな蓮華が舞台上に咲いた、それを幻視できた方は幸いだ。舞台で歌う私の背には、時間的にも距離的にも遠い霊鷲山の風向がひろがっていたろう。それが見えた方も幸いだ。
80年初期の私を演奏に重ねることができず、それが不満だった方もあろう。この冬のロフトの平野氏との対談で、ファンサービスとして時には過去を再現したライブもやる、と私は語っている。このことは、私にとって本然のライブは、80年代の初期パンクとは遠く隔たったパフォーマンスだということだ。その意味でいえば、日曜日のライブこそがそれなのである。
しかしながら、ここではっきり言っておこう。私にとって、音楽のスタイルなど、どうでもいいのである。私は、いや人間は、内部にかかえているものを表現するおりに最適なスタイルをそのアイデアに与えるだけなのだ。あえて私を人間と言い替えたのは、これが表現者にとっての普遍的な真理だからである。模倣者は様式の礼讃者となるであろう。しかし、表現者は異なる。様式とは、ただの方便なのだ。例えば、花瓶に色を塗るとしよう。その際に何色でどのようなカタチをぬるかも大事だが、その総体でどのような花瓶を現成させるかこそが最大の眼目であろう。音楽の様式とは、色やカタチ、あるいはブラシの使い方、そうした方便に相当する。つまり、眼目ではないのである。
私の音楽的趣味はワイドレンジ、相当にはばがひろい。私はよくそう言うが、それは以上の信条に裏打ちされた言葉なのだ。
『岩石庭園』とそれに先立つ『変易の書』をリリースした時、それについてこられなかった方は多くいる。八十年代初頭に拘る方の多くはそうした傾向がある。不幸な事実である。その不幸な事実をいまさらのように繰り返すことはなかろう、そう想うのである。私の本然が彼らの期待にそぐわなければ静かに退去すればよい。
私は,より多くの子供達、老若男女、動物たち、花々、木々、鳥や魚、過去現在未来の三世の、宇宙を転回させん願う魂とともに歌うだけであり、奏でるだけである。どのアルバムの曲を演奏するにしても、今の私の後ろには、彼らがいる。日曜日に私の声にのって響いた歌は、ある意味で私のそれではない。さきに統合という言い方をしたが、それは私自身の言い方であって正しくはなかろう。歌において、私とともにある大きな者達、彼等の力を信じて解放したがゆえの響、それが日曜日のライブにはあったのである。さかしらな私のはからいではけっしてない、のである。
それを霊鷲山からの響が私の口をついてでたのが、日曜日のライブ、ステージ上の歌であり、それこそ新たな時代を迎える宣揚であったと想う。
スピアメンのメンバーは、自分自身には尋常じゃない厳しさをもって舞台に臨む。 自己をくらまさないのである。それは私も同じだ。 この前提条件を見失うと私たちの真意は見えてこないだろう。勘違いするだけとなろう。
問題は、舞台を前にした方に、霊鷲山頂に咲く花が見えたか、ということだ。
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