●病中日記
●はじめに
このドキュメントは、痛い、苦しいという独白ではない。
2002年の冬、私が救急病院に運ばれた際に見聞したものあれこれを列記したものだ。
無用の誤解を避けるため、日時順に配置しなおしてみた。
モモヨ 管原 保雄
一月三十一日
朝、目覚めたときから、体が変だった。
重い。
娘を幼稚園に出してから、案の上、酷い吐き気と下痢に襲われる。
いつものごとく……とたかをくくっていると、これがどんどん酷くなるばかりか、腹痛が、まるで歯痛のような強烈さで体を襲う。体は震え、痛くてたまらない。その上に汗がとまらなくなり、アンダーウェアを何枚取り替えてもおさまらない。下痢と吐き気も激しさを増す。
娘の迎えに父に行ってもらうことにした。
……気がとおのいていく。
娘の帰宅を感じ取った私は、外に向かって助けてくれ、そう叫んでいた。
娘が慌てて、部屋に飛び込んでくる。
父が119番してくれたようだ。
歩いて救急車にのり、担架のようなものに横たわる。なにか名前があるのか、ベルトに抑えられて、隣町のS病院に運ばれる。
体温がどうしても、33度以上、あがらないと救急隊員が病院医師に報告しているあたりから記憶があやしい。
何度も熱を測られ、そのつど、看護婦さんたちが毛布をもってきたり、湯たんぽを抱かせたりして、体中をマッサージしている。
点滴を打ちたくとも、静脈が出てこない。
ほとんど脈も薄くなっていたのだ。血圧も低い。血液を採取するときも苦労したようだ。私の手のあちこちに注射の跡がいくつも残っている。
レントゲンの結果、腸炎を起こしていることが判明。入院治療が必要だという。白血球の数が尋常ではないのだ。常人の四倍以上だ。これには抗生剤投与をするしかないらしい。急性腸炎というのが最初の診断。ちなみに、同じ日に私以前に同じ症状で病院に担ぎ込まれた人が三人いるともいう。
入院して、ナースセンターの眼前にある病室に入る。
ここで、体を固定して、点滴をうける。この点滴は、救急用の緊急からのものではなく、これから数日間、経口での栄養はとらず、点滴によってダイレクトに血管に送るためのものだ。ちなみに、一日に、約6リットルの通常の各種栄養素、エネルギーを送り、四回、抗生剤を平行して点滴する。
この治療室の生活は、なかなか新鮮だった。
なにしろ、食事というイベントさえなく、テレビも何もなく、救急車で運ばれたのだから時間をつぶすものが一つもない。
日がな一日、時には、ぽつぽつ落ちる点滴を眺めたり、夜空を行く雲を眺めたりという具合だ。剥き出しの24時間は異様に長いものだと思い知った。
加えて、この二階を担当するナース達はみなトレンディドラマに出てくるような個性派ぞろいなのである。これが面白かった。この佐藤病院の息子と、私は幼稚園が一緒だった。今はもうないが聖ローザ幼稚園というところで、子供の頃は一緒に遊んでいた。今は48歳。彼がトップについているようである。もしかしたら、この奇妙なナースたちは、彼の趣味なのかもしれない。
例えば、理知的な美貌(ほんとにカッコいい子だ)のナースは、医者から、サンプル培養の細胞、採取を命じられたとき、医師と関係者を室外に出そうとした。患者のプライバシーを慮ってくれたようだが、実は、彼女自身が、理知的な容貌とは裏腹にどこかで恥ずかしかったのだろう。真っ赤になって遂行し、何度か失敗した挙句、とりあえずはサンプルをとった。
サンプルというのは、私の肛門内部の物質という意味で、その中をさぐってあちこちから欠片のようなものを捜して、培養の基にするのである。つまり、おしりのあなから器具を挿入して、それを探すわけだ。しかし、先ほども書いたように酷い下痢だから何も残っていない。水のようなものしかない。
「水のようなものしかありませんよ、先生」
こう困った顔でいう。
「だって、私は酷い下痢だったし」
と他人事で助け舟を出す私。
「とにかく、抗生剤を投与する前に出来る限りのサンプルをとるんだ」
と医師。
「ハイ」と看護婦さんは、自分のすべきことを了解する。
そこで、私もけなげな彼女のために苦しみに耐える覚悟を決めたのだった。必死に妙齢の女性が、肛門の中を、探るのを眺めるのは、不思議だった。いやらしさは、どこにもなく。彼女が仕事に慣れるに従って、理知的な美がさらに強まっていくようだった。
次に登場したのは、猫目メイクの美少女風ナース。
彼女は、点滴のセッティングを請け負ったのだが、何度やってもなかなかセットできない。言うまでもないが、点滴の針はかなり長い、それを静脈にそってスーツと差し込む。その先に蛇口のようなものを幾つかつける。私の場合は、最大、分岐点が3箇所ある大システムである。ちょっとしたサイボーグ気分になる。
「俺ってさ、いつだって静脈の蛇口をあけられるんだぜ。うひひっ、なんかさ、俺こそ仮面ライダー四号みたいな感じじゃん。アンディウォーホールみたくない?」※ライダー四号とは、ライダーマンのことである。
と、完成後は、出来上がった姿を見るとうっとりする私も、このサイボーグシステム設置工事の下手さにまいった。血圧が十分ないのであろう、ぶすぶすと腕に針をつきさしては、彼女は、猫目を細めて血の出方を確認し、だめだこりゃ、と、他の場所をさぐるばかり。私の腕は血まみれである。ぶすぶす、ぼこぼこである。
こんな危険なパンク女に私を任せるのか、なんて最初、恐ろしかったのだが、その針の件以外は、とてつもなく手際がいい。血圧を測り、時々、私の指先のギターだこを不思議そうに観察したりしている。突然、両足の先を触ったりする。そして、
「あっ、もうしわけありませんでした。きゅうに触ってしまって」
と頭を下げる。なんだか、よく分からないが、分からないところがトレンディドラマである。ただ、私の体温の感触を確認しただけだったろう。
このナースは、点滴を絶やさないようにしたり、スピードを調整したり見事な献身ぶりだった。三十一日の夕刻から次の日の昼間まで、ずっと私の点滴と投薬を数十分間隔でチェックしに来るのである。もちろん、夜を徹してである。特に驚いたのは、私が、狸寝入りしていると、彼女が来ては体をさすってくれている。おかげで、朝には、体温は36.5度に戻っていた。こういう人知れぬ献身を人はするものなのだろうか。それもチャパツで、猫の眼のようなメイクの20代の女性が……。ちょっと感動した。
最初は、排便も私一人で出来なかったのが、おかげで、翌日の朝には体も動かせるようになった。点滴スタンドを持って、トイレにいける。その私を見て、
「あの、そのスタンド、そうやって持ち上げて歩くもんじゃないんです」
と注意された。
「下に車がついているから押すだけで動くし。片手で上に持っちあげると大変ですよ。なんか、武器をもって戦争に行くみたいじゃないですか。……でも、元気になってよかった。最初は点滴の針も上手く通らない人だったのにね」そういって喜んでくれた。今では、この時の彼女の本心はわかっている。
「おめえな、点滴ってのは、血圧が関係すんだよ。馬鹿みたいに力入れるんじゃネエよ。それに高さが変わると点滴のスピードも変わるんだよ。覚えとけ、このトウシロガ」というところだ。
子供みたいだが、16時間を一つの単位にして働いているナースとは、かくも、大変な仕事なのか、そう思って少し感動。
二月一日
この日の夕刻、例の知的な美女がまた仕事に戻ってきた。
私はといえば、引き続き、24時間点滴である。
一回の勤務が16時間連続で、24時間の休みで、また16時間。そんな感じのサイクルらしいが、まあ、断言できるほど私はその情況を知らない。私がこれほどに回復していることを予期していなかったのだろう、私が廊下を歩き回っていることを知ってあきれていた。
私からすれば、これでも運動不足なくらいだ、と大見得をきった。
物を食べていないとはいえ、それでも栄養剤を直接、それも思いっきり体内に注入されているわけで、これで体を動かせないのは苦痛だ。拷問に等しい。そう主張して病院内部をあちこち動いていたら、敵もさるもの、体を動かすのはトイレまで、と釘をさされてしまった。
実は、この私の行動には目的があったのだ。デモンストレーションである。既成事実を作り出したかったのだが、それも見抜かれていたのか?
思えば昨日の入院から煙草をすっていない。それに心が向かったとたん、むしょうにハイライトの煙が恋しくなってきた。喫煙の自由はどうなっているんだ……忘れているうちは、気にならないが、思い出すとどうにもならない。それが煙草である。私の場合、海外旅行の際など、飛行機内禁煙など、けっこうそれなりに気にならないでいる。しかし、これから何日も、こういう環境を強いられるとなると、むかつく。なんとか煙草を吸いたくなる。いや吸ってやろうという気になる。
しかし、救急車で運び込まれた私には、その肝心の煙草がない。私が点滴スタンドを手に階段を上がったり下がったり、病院内をうろついていたのは、実は、最終的に、私の移動にナースの目を慣らし、隙をうかがって、点滴スタンドを担いで、外の商店で煙草を買う、これを最終目的にしていたのである。この目論見が封じられた。プランを練り直す必要が生じたようである。
点滴スタンドを持ち上げてはいけないことは、既に書いたが、最初、猫目ナースに見咎められたとき、私は点滴の針がうってある方の腕でこのスタンドを持っていた。
点滴も二晩目になると、猫目の言うことがさらに良く分かってくる。
点滴の針は左腕に刺すのが普通だが、この左腕の筋肉にいれる力を変えてやると、おもしろいように、薬剤の落ちるスピードが変化する。グーパーと、握ったり開いたりを繰り返すと結構面白い。点滴を装着している部分に血が流れないように腕を抑えると、点滴は完全にストップする。この事実も初めてこの夜に確認した。実証主義者モモヨとしては、このくらいやっておきたい。スピードを上げることもできる。腕をベットの外にタラーンと垂らして、点滴と腕の落差を大きくすればいい。あるいは、トイレなどに隠れて、わざと地面近くまで下げてやるなどすると、倍以上のスピードで落下する。なにしろ、私は、他にやることがないので、このゲームは暇つぶしにもってこいだった。
ナースから見れば、これほど大迷惑な患者もいまい。
ナースは、医師の指示で××mlの薬剤を何時から何時まで持続的に投与するように支持されている。点滴の袋には、管原氏 18°〜24°などと書いてある。当初、私は、これを角度表示と思ったのだが、まったく見当はずれだった。°は度ではなく、時を意味していたのだった。つまり、これが1500mlの薬剤の袋に書いてある場合、1500mlを六時間かけて投与することを意味する。そして、そのために、ナースは、しずくをおとす部分の細さが異なるツールを選別し、点滴スピードは大体一秒にセットする。というわけだから、私のようにそれを変えて遊んでいるような患者は迷惑この上ないのだが、むろん、ナースは、私がそんなことをしているなんて知らない。
その結果、夜中の12時まで持たせるはずの点滴を10時前に終えてしまった。例の理知的な彼女に、全て自分の責任だといって頭を下げられた私は、なんか複雑な気持ちだった。
ところで、最初の夜、私は、夜を引き裂く悲鳴のようなものを聞いた。それだけでなく、何か念仏のように繰り返している鬱々とした声も聴いたような気がしたのだが、それが果たして、眠れぬ私の幻聴なのかどうか確信が持てないでいた。それが、この夜、明白になったのである。夜中にギャーッというか、ガオーッというか、なにやら野獣の咆哮のようなものを確かに聞いた。それも今回はハッキリと何度も聞いたのだ。ヒャッホ−ッというインディアンのような奇声もまじっている。ナースセンターの呼び出しブザーもけたたましく鳴っている。火事でもあったのか、完全に緊急事態のムードである。人が廊下をバタバタ走り回っている音がする。ガオーッという声、ヒタヒタヒタと走る幾人かの音。私のベットからは、ナースセンター出入り口近くの壁が見える。それを眺めていると、先頭の吠える男を追って、ナース達の影が忍者のように走っていくのだった。
三十分ほどして、騒ぎが収まった。
と、ほどなく、インテリ美人が登場。
「ねむれないのかな」
と、何事もなかったかのように言う。
だいたい眠れないに決まっている。眠ってしまって寝返りをうとうものなら、点滴チューブの長さが足りなくなるとチクッとくるのである。つまり、眠ったにしても体を動かせばそれで終わり。それだけではない。元気な体にこんなに多量の栄養剤をぶち込めば眠れないに決まっている。
私は、そんなことを言ったと思う。
しかし、それとは裏腹に、彼女の言葉は、緊急事態に備えて緊張していた心をリラックスさせた。何事かはあったのだが、緊急事態ということではないらしい。私は、ほんのしばらくの眠りに落ちていった。
二月二日
まだなお暗い時刻、起床時間前に、人の気配で目が醒めた。
懐中電灯を手にした例の理知的美人が点滴のスピードを調節していた。
「あっ、起こしちゃった?」
私の覚醒に気づき彼女はそう言う。
目は、点滴と腕時計を交互に見比べたままである。
こういう人が、真剣になった時の美しさを私は好む。いや、いかにも軽薄そうなチャパツのナースが真剣な表情を見せてくれた時の美しさも捨て難いが、スリムな理知系ナースのそれは、神々しいとすらいえる。なんせ、チューブをめぐって静脈血管に流れ込む点滴だけが私のエネルギー源なのだ。それを思えば、私がそう感ずるのも無理からぬものといえなくもない。とにかく、半植物状態の私にとって、まさに、神や仏に近い、すがるべき存在なのである。床に置いた懐中電灯の光が後光のようにキラキラと彼女の背後の壁、そして天井にゆれている。これこそ神の証ではないか。
……しかし、チャパツという言葉は奇妙である。髪を茶色に染めればチャパツなのか? 脱色すればチャパツなのか? では、ムラサキに染めたらシハツなのか? イチャモンを考えれば、いくらでも思いつく。少年時代には私自身チャパツだった。なにしろ海の向こうではグラムロックがさかんであったが、わがアメリカ属国をやっと脱した日本の大半はインチキなヒッピームーブメントを崇拝していた。ちなみに、グラムロックは、西海岸のそうした動向に対するアンチテーゼである。簡単に言えば、たとえロック好きの間にもそんな輩がいないのに、モモヨ少年は、髪をいろんな色に染め上げたグラムキッズだったのだ。それが、いまどきの少女を指してチャパツはないが、これは、私の、ささやかな遊びである。お許しいただきたい。
ということで、降臨した女神の言葉を続けよう。
「もう、すっかり、いいみたいね。さっき血圧測らせてもらったでしょ。完全に元に戻ってるみたい。明日、午後、先生が来たら、あたしの方からも元気になったって報告しとくね。案外、そのまま、退院していいって話になっちゃうんじゃないかな。それに明日の昼で、24時間点滴も終わりだし……」
これは、まさに女神の託宣のようであった。これで、空を流れる雲や、建物の陰が移り行くさまを眺める生活から解放されるのだ。彼女はまさに私にとって、解放の女神であった。
というのは、この日の昼間での話。なにしろ、この女神、担当の医師が姿を見せる前、というより昼前に、さっさとあがってしまったのであった。これにはまいった。続いて、現れたのが、ニューフェースのナース。ショートカットのチャパツであるが、いちばん、まっとうなチャパツである。いわゆる、一般的にきれいな女性という感じ。それが、カーテンを開けてふいに現れた。血圧を測り、採血しつつ、「事情は、聞きました。私の方から先生に報告しますね。たぶん、大丈夫だと思います」というのであった。この女性が、いままでで一番言葉遣いが丁寧である、というか、一般的である。
この日は、土曜日である。このまま、退院できれば、日刊デジクリにも原稿を送れる。それに、突然の入院で約束を違えたことに対して、、いろいろと謝罪メールをいれなければいけない。……そして、なによりも、煙草が吸える。なんて、考えたのが甘かった。彼女は、「たぶん、大丈夫だと思う」と言った。「たぶん」である。それが耳に入ってこなかった。
昼を過ぎた頃に、「いまは点滴で体を維持してますが、それをやめて、食べ物を口からとったとたんに、症状が戻ることもあるんですよ」なんて言いにきた。「退院できないんですか」と訊くと、「いえ、先生はまだいらしてないので、なんとも言えないんですが、多分、大丈夫だと思うのですが、これまでの例からそういうことが多い、そういうことです」
そこで、私も懇願攻撃に出る。「先生が来られたら、出来るだけ早く教えてください。退院できない場合、一時、外出を認めていただかないと、私、救急車で運ばれたので、家の状態もそのまま放置してきてしまって、病気治療も気が気じゃないのです。心配事があると治療に専念できないじゃないですか。ですから、出来ることなら、早い段階で先生と話して、とにかく、一度、帰りたいのです」
「わかりました。私のほうから先生に絶対に伝えますから」という彼女の言葉は、その直後に脆くも崩れたのである。というのは、さらに新しいアラレちゃんのような典型的な眼鏡っこナースが点滴を持って部屋に入ってきたのである。その点滴には、昼から夕方6時と書いてあった。
もはや決起あるのみ。私は行動を起こすことにした。そのまま、ちょくせつ、担当医を探し出し、直談判したのだ。
結果だけを記すことにしよう。
白血球の数が入院時点で40000以上、大変な数字だったのが、点滴が効いて、今は常人の二倍の数値にまでさがった。この後も、治療を続け、効果をあげれば、治療が期待できるというのだ。そして、料金のかからない大部屋を用意するから入院を続けてくれ、と言うのが担当医の言葉だった。それに対して、私は、一度、家に帰してもらいたいことを繰り返し主張した。もはや心は走れメロス、義理のある人々に連絡すら入れられないようでは最悪の事態ではないか。これは引き下がれない。もう、下痢だって収まっているのだ。
そこへ、例の、極一般的チャパツ美人ナースが顔色を変えて現れた。医師を探しに外来へ降りたのだが、結局、行き違いになり、そのわずかの時間に、医師は、処方をアラレちゃんに指示してしまった、これが実情のようだ。彼女は息を喘がせつつ私たちに事情を説明した。
結局、医師は、私の一時帰宅を許してくれた。「病院に戻った際は、三階の大部屋に直接移ってくれ」と言って、私の外出を改めてナースに指示したのである。
そして、帰宅した私は、この日記に、簡単な現状報告をアップ。デジクリにも原稿を送れない旨連絡できたのであった。めでたしめでたし、である。※ ※ ※ ※
「這ってでも帰ります!」
担当医師にはそう啖呵をきった時、気分はすっかり『走れメロス』だったが、現実には、そんな悲壮感はなかった。
病院の外へ出るなり、私が何をしたかというと、大方の予想のとおり、まず、煙草とライターを買った。ついで、帰路の途中にある洋品店で下着をいくつか購入。なんか、普段の散歩の一場面と言う感じだ。
病院から私の家まで歩いて十五分だ。道々、機関車のように煙を吐きつつ歩いた。一時間で戻ると約束したから、正味三十分程度しか自由になる時間はない。ために、歩きながら、デジクリのこと、待ち合わせをして不義理をした友人への謝罪など、最低限やるべきことを考えた。
家に戻れるということで、有頂天になっていたのだろう、実家への道を辿る間、体調は確かに戻っている気がしたが、いざ我が家にたどりついたとたん、ふらり足元がおぼつかなくなっているのに気づいた。そういえば、この48時間、何も食べていない。空腹感はないが腹に力が入らないのは当然だし、少々ふらつくだろう、と医者も言っていた。足に力が入らないということ以外、完全に復調している。
まず遺してきた子供達の情況を確認する。彼らが、私を心配しながらもしっかり生きていることを確認したうえで、PCのスイッチをいれ、メールの類を乱文だろうと何だろうと、打ちまくる。皆さんに対する失礼を覚悟の上で、同送メールも多用する。(ごめんなさい)マナー違反と言われることは承知しているが、こちとら、そんな余裕はない。緊急時である。とにかく無責任にとんずらしたなんて少しでも思われるのは癪なので、出来るだけのことはしておきたい。常時、自分の言い分を直接語っている以上は、責任の所在を意識していないといけない。
しかし、本当に慌てていると数行のメールを出すのもままならない。そこで、最悪の場合にそなえ、日記にも情報をアップしておく。
それが終わるなり、カバンに衣類、タオル、書籍、眼鏡の類を詰め込み、自転車で病院を目指す。残り時間は、ほとんどない。
なんとか、約束の時間に間に合った、というか十数分あまったので、しばらく病院の裏手で煙草を吹かした後、三階の新しく割り当てられたはずの大部屋を探す。
例の一般的チャパツの姿が見当たらないので直接彼女が教えてくれた部屋に入っていったところ、そこは、なんと女性専用の病室。あわてて廊下に飛び出す。とそこへ、本人、一般的チャパツナースが通りかかった。なぜか顔をふせ、目頭を右手でおさえて、まるで私から逃げるようにして階下へと急ぐ。泣いているのか???
そんな彼女の後を追おうとするところへ、
「ちょっと、スガハラさん! あなた外出届、書いていかなかったでしょ!」
見たこともない大柄のナースに呼び止められる。
「規則は規則、守ってくれないと」と、キッとした目つきで私をにらみ、一枚の紙を差し出す。「外出前には、皆さん、これ書いていただくの。外出には届出が必要なの。無断で病院の外に出てはいけないのよ。わかる?」
わかるっって、入院者規則を読ませたわけでもないのに、誰がわかるかってんだ。はっきり言おう。実は、彼女が何を言っているのかわからなかった。私は強制的に入院させられたわけでもないし、だいたいなんで幽閉されなきゃならないのか、それがわからなかった。
ここは、資本主義社会、そして自由民主の国ではなかったのか!? いったい、この入院費用は誰が払うと思っているんだ。担当医者だって外出を認めたんだぞ!……とは、言わなかった。とりあえず、私の病室を教えてもらわねばならないし、今後は、彼女達、つまり三階のナースの世話になるわけだから、余計なことは言わないほうが賢明に決まっている。
とりあえず、彼女に病室への案内をお願いすることにする。
あとで知ったことだが、どうやら二階と三階のナースでは、それぞれ派閥があるらしく、ことあるごとに反目しあっているようだった。お互いの失点を大仰に騒ぎ立てるのは、そのためだ。大体、担当医が認めて、二階のナースセンターで外出の指示を出したのだから、今更、騒ぐ必要なんてないはずなのに……。
「皆さん、こちら、スガハラさん」
定員六人の大部屋になぜかベットは五つ。つまり四人が横になっているところへ、周囲を見回しつつ、彼女が大声でいった。しかし、誰からも返事がない。
「この部屋の人達ったら礼儀しらずで……」
そう言って外出届をあいているベットの上に置き、むっとした表情で病室を出て行った。
どうやら、そこが今夜の私の寝床になるようである。ノウ天気に、
「スガハラデース。よろしくお願いします」
とやっても反応がない。そんなことに頓着せず、さっさと、自分の世界をつくる。相手に対して、こちらも無関心でいればいいので、かえって気が楽だ。カーテンを閉ざして、家からもって来た書籍数冊をベットの上に並べる。今回、持ってきた本は、私の「これさえあれば」という書物なので、それを紹介しておこう。世阿弥の『風姿花伝』岡倉天心『茶の本』『易経』上下。これすべて岩波文庫本だ。
さっそく、易経を開く。文字を眺めているうちに落ち着いてきたのだろう。周辺の気配が心に入ってくる。私の右隣のベットからは、常時、低い唸り声が聞こえてくる。「いたい」「くるしい」そういうことを繰り返し唸っているのである。右側の人も「どうせ、おれは死ぬ」みたいな言葉を繰り返すばかりだ。対面には二人の老人がいる。どちらも何もいわずに横になっている。
まもなく夕食の時間になる。
夕食を運んできたヘルパーさんが私の顔をみて、「あら、この病室、一気に若返ったわね」なんていう。若返ったって、私だって48歳なのだ。しかし、この病室では、私が一番、若いのは間違いない。
食後、点滴を打つまで時間があったので、三階を歩いてみる。
顔なじみになった患者と少し話す。彼は三十歳前後、自転車製造メーカーの工場に勤めている。その職場がこの病院と契約しているという。ゆえに、この病院の内情はよく知っていた。この病院の大部屋のほとんどは、完全介護の老人医療施設として使われており、私と同室の人も、多くは、病院が別途立ち上げた介護センターの患者だったのである。病院が直接面倒を見ている一般の患者は、むしろ少ないようだった。そういえば、私以外の人間がいろいろな器具を体に装着しており、時々、ゴボゴボグツグツ奇妙な音がしていたが、それは完全介護専用の設備が立てる音らしい。
「看護婦さんとヘルパーさんがいるでしょ。ヘルパーさんというのは、看護婦の助手ではないんです。老人介護センターの方の職員さんなんです。ですから、その辺でも、内情がうまくいってないらしくて、揉め事がたえないんですわ」
彼は、そう深刻な表情でいう。
「だから、どうしても夜なんか臭いが酷いでしょ。あたしたちみたいな自分でトイレにいける人間は、ほとんどいない。みなヘルパーさんだのみなんですが、なにしろヘルパーさんの数が限られているんで、これは我慢するしかないです。これは覚悟しておいた方がいいですよ。あと、そういう情況ですので、夜になると騒々しいのです。慣れないと眠れないと思います」
そう、これが、夜、私が二階の病室にいたときに聞いた阿鼻叫喚の正体だったのだ。
そして、彼の予言どおり、私は、その夜、一睡も出来なかった。
二月二日夜から二月三日早朝
二月二日、土曜日の夜から、夜間の点滴から解放された。おもゆを啜るだけでも気分は大分違う。米を湯にとかしただけの糊のような一碗は、通常ならまず口にすることはなかったろう。それがひどく味わい深いものに思える。
食事の前後に、抗生剤、そして補助的な栄養分を点滴でとる。所要時間一時間半。その間だけベットでおとなしくしていればいい。
点滴の針は、まだ静脈に固定されたままだが、どこにいくのもスタンドを持っていかねばならない昨日までとはまるで違う。左腕のみならず、体全体がやっと自分のものになった。心まで自由になった、そんな感じだ。
これで存分に寝返りが打てる。今夜はぞんぶんに眠れるかもしれない。今から思えば甘い夢想でしかなかったが、こう考えると、このちっぽけな自由がとてつもなく大切なことのように思えてくる。そう、一大事という奴である。
不自由のおかげで、日常のたわいのない些事、いわゆる日常茶飯事の重さを思い知ったかたちだが、こういう状況下にあると、日常茶飯事に宇宙が存する、そんな『茶の本』の一節がひどく身近に思えてくる。不自由故に自由を知る。これは生涯のうちでも繰り返し味わった感覚だが、いつになっても新鮮さを失わない。書名や著作者は忘れたが、生成、流れや、成長の阻害が意識の発生をうながす、というような一説をどこかで読んだ覚えがある。こうした側面は確かにある。
消灯の時間が間近くなると院内がざわついてきた。
なにしろ、大半は完全介護が必要な患者だ。消灯の前に、排便の処理を済ませておきたい、そう願う声があちこちの病室から一斉にあがるのは無理のない話である。ナースを呼び出すブザーの音が間断なく聞こえ、ナースやヘルパーが廊下を小走りに走って、病室をめぐってゆく。まさに躁病的なドタバタ劇である。時折、大きな猛禽類を思わせる金属的な悲鳴も聞こえ、我が隣人達の悶絶も、このムードの高鳴りに、いまいっそう調子を上げる。
まるで病棟が痙攣しているかのような騒ぎがピークに達するや、全ての患者が下の(便の)処理を終えたのだろう、ふと全てが弛緩する気がした。と、絶妙の間合いで電灯が消える。こうして、消灯を告げる放送が響く頃には、すでに病室は眠りに落ちているのである。
患者達が大声で看護婦を呼ぶ声にまぎれ、最初は気づかなかったのだが、あたりが静けさを取り戻したとき、淡々と続けるその声に気づいた。
「看護婦さん、私が悪うございました。看護婦さん、私が悪うございました。看護婦さん、私が悪うございました。看護婦さん、許してください、私が悪うございました。看護婦さん」
男の声だ。同じ内容をひたすら繰り返しているのである。悲鳴や叫びではない。同じ言葉を無表情にそして朗々と繰り返している。
「私が悪うございました。許してください。看護婦さん……」
男は同じ言葉を呪文のように繰り返している。最初、私は、誰か特定の看護婦を前にして語りかけているのではないか、と思ったものの、いくらなんでもこれは尋常ではない。日付が変わる頃には、これが独白である、ということを確信した。
しかし、ナースは誰一人、男の相手をしていないのである。まったく反応していない。それが私には不思議だった。通常なら患者をなだめようと何らかの手を打っているはずである。いや、きちんとした対応をするのが病院なのではないか。最前までうめいていた我が同室の患者達は、男の独り言に関わりなく、大きな鼾をあげて眠っている。
やはり、気になる。
そこでトイレに立ったついでに様子をうかがうことにした。どうやら廊下の先の個室から聞こえてくるようでもある。と、闇の向こうを覗き込んでいるところへ、手前の大部屋から毛糸の帽子をかぶった背の高い男が出てきた。大勢いる患者のうち、病院内を自由に歩き回る患者は、私を含めて五〜六名しかいない。自然と皆顔見知りになっている。当然、向こうは、私が今日、三階に移ってきたことを知っていたのであろう、
「眠れないですよね。あんなの聞かされちゃ。ほんと、毎晩なんですよ、彼。今日は叫んでいるだけだから、まだいい方なんです。このところ毎晩、看護婦さんと鬼ごっこだったし……。昨晩は病院の外まで逃げたらしいんですが、騒ぎに気づきませんでしたか? スガハラさんのいまいるベットにいたんですが、今夜から、無理やり個室にいれられたんです。もうとんでもない情況でしたよ。一晩中あの調子で、何事かを喋りながら部屋から部屋へと歩き回る。むろん、私たちは眠れない。眠れないから私などは何度もトイレに立つ。ほら、眠れないでいらいらすると、一晩に何度でもトイレに立つことあるでしょ。ですが、かえって、それが好都合でもあるわけで……」
ニカっと笑って煙草を差し出す。
「どうですか、一服。今日、昼間、スガハラさん、病院抜け出したんですってね。その後、ここの裏で煙草吸ってたでしょう」
もちろん、私が断るはずもない。
彼の言うことはもっともで、こんな情況下で眠れないのは私も同じである。眠れる環境であるなら、とっくに眠っている。病院側の管理体制の問題ですな……などと男と私は諧謔をもてあそび、紫煙をくゆらした。
トイレで煙草を吸うなど高校生の時以来であるが、禁断の味わいというやつは格別だ。不自由な環境は全てを異化することは、すでに述べた。幸い、トイレには臭気抜きのための強力なファンが設置されていた。好都合なことに、換気設備の真下あたるところに大きな水槽があり、ちょっとした小部屋になっていた。私達は、水槽の縁に腰掛け、もう一服した。(そんな臭いところで、よく煙草が吸えるな、そう思う方に一言しておくが、消灯からすでに数時間。トイレより病室の方がはるかに臭くなっている)
「夜になると病室がなんとなくけむっているのに気づきませんでしたか?」と彼。
「みんな夜になると隠れてベットで吸っているんです」
そのせいで、先週はボヤがでたそうな。彼と同室の老人がゴミ箱を一つ燃やしてしまったという。私と彼が、そんな世間話をしている間も、個室からは「悪うございました」と繰り返す声が響いていた。
看護婦さん、私が悪うございました。看護婦さん、私が悪うございました。看護婦さん、私が悪うございました。看護婦さん、許してください、私が悪うございました。看護婦さん看護婦さん看護婦さん……。
二月三日
日曜。医局は休み、当然、外来診療もなく、ロビーは静かだ。外は雨。
病院内は禁煙だが、裏口の前にはベンチがあり喫煙所がある。周囲には誰もいない。朝食の後、そこで誰はばかることなく煙草を吸った。
午前10時から点滴だ。それまでは暇。そこでその間は自由行動とした。これで思う存分、煙草が吸える。
紫煙をくゆらしながら考えたのは、昨日の、大げさな外出届騒ぎの一件である。以前にも、幾度か入院したことはあるが、この病院の届出に対する厳格さは尋常ではない。
今朝の今朝とて、朝食の用意に来たヘルパーの胸ぐらをつかんで、斜むかいのベットの老人が、自分の自由をかえせ! 警察に訴えてやる! 罵倒したあげくに廊下に飛び出していった。お決まりの騒動のうち、何やかやとなだめられたあげくに、看護婦に食事を口元に運んでもらい、彼の憤怒もようやく収まった。
確かに、数日入院しただけの私ですら、自由を圧迫される印象を持ったのだから、ながらくここにいると、そんな被害妄想にもなろうというものだ。私にはその老人の不安がよく理解できた。
老人介護といってもいろいろある。その介護すべき老人みなが、同じ病気、同じ症状というわけではないから、不満や問題も出てくる。例えば、五体満足でありながら思考機能に障害を持った場合、それと裏腹に、意識は鮮明ながらも、口が動かなかったり、足が動かなかったり、いわゆる運動機能のみが失調した場合を考えてみるとわかりやすい。これらの患者が、老人介護という名の元に、同じ病棟、同じ病室に収容されているのだ。そして、そこには、時に私のように体調を急速に崩して救急車で運び込まれた者もいるのだから、それら全てを平等に管理するのは土台無理、病院の規則が尋常でない厳しさなのは、こうした事情によるのではないか。それなら、徘徊老人の失踪も未然に防げるからだ。そして、一方で、規則ゆえに、自分がこのまま幽閉されてしまうのではないか、という恐れ、不安を増幅させることになる。
これが、果たして患者の精神にどのような影響を与えているか、それを考えるものはどこにもいない。残酷な現実なのであろう。
確かに徘徊老人の問題は、他の家族にとって重大な影響を与えるものだ。もう十年近くなるが、私の家族も祖母の徘徊で悩んだものだ。祖母は、家族の目が離れる隙にふらり外へでると、いずこかへと体力の限りに歩きつづけるのが常だった。何度か、行方をくらましては、夜、警察に保護されて家に帰ってきた。そんなことを幾度か繰り返したあげく、警察にそう度々世話になるわけにもいかず、また一部屋に閉じ込めておくわけにもいかず、家族が根負けした形で、ついに入院せざるを得なくなった。そして、彼女は、その病院で静かに逝ったのだった。
「どこのどなたかぞんじませぬが、ごしんせつに、どうもありがとうございます」
見舞いに行くたびに祖母は私にこう言った。
私が保雄だよ、そう名乗ったところで、
「私にも同じ名前の孫がいるんですよ。まだ、こんなに小さいんですが」
といって、手を自分の膝くらいの高さでヒラヒラさせ、目を細めるのが常だった。目の前の中年男が自分の孫だとは、決して認めようとしなかったのである。
父に対するのも、似たりよったりで、「どこのどなたか、ぞんじませぬが……」と繰り返すだけだったらしい。
入院する前のことだ。いつだったか、祖母は、私を捕まえて、「尾久というところへ帰りたいのですが、どこをどう行ったらよいものか、ご存知でしょうか?」 そうきいてきたことがある。私が、ここがそうだ、というと、
「いえ、このような大きな町ではなくて、田んぼの中に家が何軒か並んでいるような、夕焼けのきれいな小さな村です。そこにわたしの家族が住まっているんですよ。みなさん、見も知らぬ私にほんとによくしてくだすって、こんなに親切にしてくだすってなんですが、わたしは、そこへ帰らなくちゃならないんです」
そう応じたものだった。どうやら、祖母は、その時空を越えた尾久に帰ろうとして、空が暗くなるまで歩きつづけたようである。
真っ赤に目を泣きはらしている少女が、母らしき人に肩をだかれて、北側にできた新館から出てきたのは、私の思いが祖母の在りし日にたどり着いた、その時だった。誰か、近親者に不幸でもあったのか、泣き崩れた少女の顔色は尋常ではなかった。北側の新館は、私のいる病棟と廊下続きになっているが、そういえば、そこまでは探検していない。今日は、思いっきり暇だ。午後は新館を探検して暇つぶしをしよう、そう独り決めして、三階の大部屋に戻った。※ ※ ※ ※
日曜は診療は休みだが、面会に来る人数は平日の倍をゆうに越える。
昼食後、私の隣のベットにも二人の面会人が来ていた。カーテンを閉め切って、相続だとか、委任状だとか、なにやら深刻な話を交わしている。昨日持参した易経の頁に目を這わせていても、つい耳がそちらにいってしまう。訪問者は患者の弟夫妻と想われる。彼らは、老人が急逝した際に備えて、財産の分与が複雑化せぬよう、今のうちに念書に一筆入れるよう説得していたのだった。シビアな話である。
訪問者が病室を去るなり、彼の憤懣は爆発した。誰にともなく、
「人間なんざ、どうにもならない。見てくださいよ。血を分けた兄弟とは思えない。奴等、どうしても、オレに先に死んでもらいたいようですからね。死ぬにしねやしない」
と大声をあげた。私達の間はカーテンで塞がれているので表情は見えない。声を荒げた後はゼエゼエという、喘ぎ声ばかりが聞こえている。彼の気持ちはよくわかるものの声をかけるのもためらわれる。そこで私は新館の探検に出かけることにした。
新館へは、三階のナースセンター前の廊下をまっすぐ行けばいい。一度、非常扉から外へ出る。そこから、よくある増設を重ねた病院特有の形で、外部通路がそのまま新館の扉に繋がっている。食事の始末も一段楽したのだろう、ナースセンターには誰もいなかった。あとは、何の事はなかった。そのまま、新館に潜入する。
あとで、考えると、この新館は、見るべき場所ではなかった。いまさらながらに本気でそう思う。
新館に入るとそこは別世界だった。廊下の壁は、パステルカラーの緑に塗られており、要所要所に、やはり同じパステルカラーの、ピンクの花柄で飾られている。
少し先に行くと、ホールのようなところに出た。
周囲の壁は、廊下と同じパステルカラーの緑にピンクの花柄。合間合間に濃い緑で葉のような図柄が書きくわえてあり、その下を蔓とおぼしき曲線が走らせてある。奇妙なことに、あちこちに、フェルト地でできた大きな立方体や円錐形が置いてある。高さはみな一メートル近い。みなパステルカラーで統一されていることは言うまでもない。どことなくとらえどころがない、茫洋とした光景だった。
ホールの先はアーチ型になっており、また別のホールに繋がっている。そこは、また異世界だった。
壁はこい群青色だ。そこにレモン色の星が置かれている。月もある。ご丁寧なことに全ての天体には目と口がついている。さらに、よく見ると、満天の星空の向こう、丘の上を行く小人達のシルエットが描かれていた。立方体や円錐形はない。しかし、ここには、身の丈ほどもある、目にも綾なキノコが床から生えている。むろん、すべてフェルト地の、いわゆる縫いぐるみだ。触らなくてもそれくらいはわかる。
しかし、これらホールには誰もいない。このホールもまたアーチ型の出入り口で別のホールに繋がっているようだが、私は、すでにこの先を探る意欲をなくしていた。なぜか、見てはならぬものを見てしまった、そういう気がした。……ところへ、
「おにいさん、なにかをおさがし?」
背後からしわがれた声が聞こえた。ちょうど、キノコの陰になっていたようだ。それは、籐細工でできた安楽椅子に腰掛けた、上品そうな老婆だった。さっきから見られていたのだ。私があれやこれやここにいる口実を探しているところへ、
「おにいさん、おにいさん、教えてください。私ね、困っているの。私の名前はどれだと思う? 私の名前を教えて欲しいの。それがわかればねぇ、いいんだけれど……。他にもね、アレとコレといくつも名前があって、それが思い出せないんだけど、いっぱいありすぎて困っているの。そのどれもがあたしの名前なんだけど、どれがほんとうのあたしの名前なんだか教えて欲しいの」
老婆は真顔で懇願するのだった。
その姿に、今朝の、泣き崩れる少女の姿が、一瞬、脳裏に浮かんで消えた。何か語るべき言葉を捜したが、何も思い浮かばない。頭が真っ白になってしまった。そこへ、スタッフが食事を終えたのか、ざわざわと人が戻ってくる気配がした。私は、逃げるように、極彩色のキノコの森を後にした。おとぎの国の意味は明白だった。わざわざ事実を確かめるまでもなく、まず間違いなかろう。……新館はある種の天国【ヘブン】……地上の楽園だったのである。※ ※ ※ ※
病室に戻り、書物の頁を繰ってみても、老婆の無垢な表情、泣き崩れる少女の姿が頭を去らなかった。そして、思いは祖母の最後の日々に還っていく。見なければよかった、そう思ったものの後の祭りだった。
ある人が見舞いに来てくれたおかげで、午後のひととき、私は、憂鬱な楽園で出会った老婆を忘れて過ごすことができた。点滴のチューブを自慢げに見せびらかす自分に、どこかで安心している自分がいる。
その日は、いつになく早く、例の男が騒ぎ出した。
日曜のせいで訪問者が多かったことも、あるのだろうが、かなり興奮しているようである。
午後四時過ぎから、ざわざわと院内の落ち着きがなくなり、廊下の彼方から、くだんのごとく男の叫び声が断続的に響いてきた。例によって、あちこちからうめき声も聞こえてくる。
「夜のここは別世界になるんだ。これ以上、ここにいると嫌なものを見ることになるから……、また、今度」
すでに幾夜かをここで過ごした私ですら、耳にする度、鳥肌立つ類の声である。幸い、皆まで口にせずとも私の言わんとすることが通じたようだった。
わざわざ見舞いに来てくれた人に不快なものを見聞きさせるわけにはいかないではないか。
病院の夜に顕現するものは、現世、現代の延命医学がもたらした、ある意味で、この世の果てに顕現する異界である。それを、心の準備がない、いわば、無防備な心のままで目にするのは、好ましいことではない。
ほどなくして夕食が配られた。私は、例によって粥。心持、病院全体のペースが週日より早いようだ。慣れてくると粥は、やはり粥でしかなく、味気なさはいかんともしがたい。それでも、無理やりのようにすべて食べ尽くす。
食事の後、私は、その朝見た泣き崩れる少女の姿を思い浮かべていた。
いつか誰もが直面しなければならない問題であるにせよ、人は、出会うべくして出会う時まで、否応なく思い知らされる時まで、この病院の夜に顕現しつつあるモノに対して、いたずらに近づくべきではない。そう私は思うのだ。母と思しき中年の女性に肩を抱きかかえられるようにして新館を出てきた少女は、今後、老年の果てに人に訪れる変容を胸にかかえたまま、自分自身の老いに向かって、生を紡いでいかねばならない。生の最中で彼女は何か特別な手立てをこうじるかもしれないし、浮き身の姿勢のまま、定めのままに流れていくだけかもしれない。
現代にあって、老いの問題は、理知ではどうにも解決ができない地点まで到達している。思えば、人類の叡智によって発展を遂げたのが医学、科学である。その発達発展によって若年のうちに病気や疾患で逝く者の数が激減したのは事実である。そして、その一方で、死の可能性減少が、今ひとつの生の、無残な姿を暴くことになった。その、ひとつの形を私は新館で見たのではなかったか。
一休宗純には、野ざらしの絵を市中に撒き散らして歩いた、そんな逸話がある。むろん、たんなる悪戯であるはずがなく、これは無常を説くための方便だったと言われる。
しかし、あだし野に人知れずたおれ、野ざらしと成り果てて消えゆく命にひき比べて、この日、私が遭遇した、まさに一場の夢とでもいえる現実が、はたして幸福なのか、不幸なのか……?
そんなことを繰り返し考えた。
ここ数日、寝不足が重なったためもあろうか、入院して以来、初めて、深い眠りへと落ちていった私だった。
二月四日 最後の一日
月曜日だ。
起床を告げる放送で目が醒めたのは、この日が初めてだった。本当に熟睡していたのだ。それまでは、眠れないで輾転反側して、この放送を待つのが常だった。
食後、点滴を落としているところへ、主治医がやってきた。
「スガハラさん、白血球は、一応、常人の範囲に戻りましたし、食事も全て平らげているようなので、いいですよ。退院。ただし、通院は、してくださいね」
そう言ってくれたのだった。
これで喜び勇んで、私は退院したのである。
※ ※ ※ ※
この後で、私は、家に戻り、二月四日の日記の項を書いている。
もちろん、これから10日以上、粥を食べる日が続いた。
そして、医者からは、完治を言い渡された。
それでも、この病中日記を書くのに、日時がかかったのは、老いの問題をどう描けばいいか、それなりに苦しんだからだ。
本文にも書いたように、これに直面するのには、機縁をもってすべきである、と私は考えるものである。無理に理知で理解しようとすると、にっちもさっちもいかなくなる。肉体的医療の進歩は当然否定されるものではない。そして、脳医学的に少しずつ、老いの問題も解決されていくことだろう。それでも、いつまでも、残るのが、年齢的には上に行くだろうにしても、老いの問題がある。
これから何十年かして、老いの問題はさらに重いものになる、と世間では予測されている。
そんなことと、この日記とは無縁だ。
ただ、私が命に関わる症状に陥り、運び込まれた病院で、私が見たものを書きたかったのだ。どんなに金を積んでも得られないものを私は見た。不幸というものは、いつも天啓をもたらしてくれる。これを書かないと、先に進めない、私には、ほんきで、そう思われたのだ。
もちろん、私の思いは、最終的な決断は、書くつもりはなかったし、書いてはいない。それは放下されている。ただ、私は、見たものを書いただけだ。
ちなみに、ここで、私が書きたかったのは、私の病そのものではない。私が体験したものについてだ。
書くうちに、私自身の体調も、そのときの自分にシンクしたのか、時々に悪化した。特に、この末尾近くの、老いの問題を書く時点に至っては、私は、それこそ鬱の極致に陥ってしまっていたのだった。
この病中日記は、ここに終わったことを皆さんに報告する。
今後は、日常的、話題にうつるはずである。
皆さんには、失礼したと思う。ここにお詫びする。