2002年3月24日ライブ関連資料
デジクリに掲載した関連原稿をまとめてみた。4月2日 花の夜、王国は現成した。
ライブプログラム プロジェクトの全貌 スピアメンとATP4月9日 流行性舞踏病の話。
メメントモリ 死の舞踏、ポエトリーリーディングモモヨ(リザード)
花の夜、王国は現成(げんじょう)した。
2002年の3月24日、私のライブ活動再開後、二度目のステージがあった。
最初のギグは去年暮でこれはお披露目に過ぎなかったが、今回のものは、二つの若きバンドの協力によって、二つのタイプのステージを披露し、加えて生まれて初めて、フェイクを多用した弾き語りを上演した。当初、今後、私がどの道を進むべきか、その指針とすることを意図して企画したものだ。
この夜のライブの主体は、スピアメンだったのだが、内容の大半は私にゆだねられていた。私は、スピアメン、ATPという二つのバンドとそれぞれリハーサルを重ねるのみならず、私のソロステージの内容も吟味した上で、プログラムを組んだ。
私のエレクトリックギターの弾き語りがあり、スピアメンのライブ、それに続いて初期リザードの曲をスピアメンと私で演奏する。続いて、ATPの単独ステージと私を加えてのリザードセッション。都合、三時間半。これが最終的なプログラムであり、この総体を私はプロジェクト・リザードの一環として考えた。
開演から終演まで、私に休む間はない。なにしろ、ここには、ウェブ上で発表しているPC主体の音楽以外の、パフォーマーとしての私の全てがあるのである。もとより一つの覚悟を持って接したライブだったのだ。
もちろん、うまくいかない場合も考えられた。なにしろ、私は48歳。一月の終わりには救急車で病院に運び込まれてもいる。一緒にやるバンドも、ロッカーとしての私が生きるか死ぬか、それを憂慮していた。パフォーマー失格が明白な場合、私は、PC主体の素朴な音楽家、こうした道に進むことを余儀なくされるだろうが、それもまた道である。
しかし、嬉しい、というか、結果的にはまた混沌とした結果を招来するわけだが、すべてがいい結果となった。こうなると、上演結果から次の軌跡を決定するという私のもくろみは機能しない。で、うれしいけれど、ちょっと困っている。
スピアメンというバンドは、八十年代後半にデビューアルバムをリリースしている。そのプロデュースをしたのが私だった。なぜか私にプロデュース依頼があるのは女性バンドばかりだった。そのことに閉口していた時だったから、純粋にロックの『かがやき』を追求する潔い彼らは新鮮だった。特別な思い入れを持って仕事をさせてもらったのを覚えている。実際、このバンドの輝きは筆舌に尽くし難かったのである。
今また活動を再開している彼らの音は、同じきらめきをもっていた。その音の中で私は歌ったのだ。そして、本来、ギグは結果など残らないはずのものだが、一週間たった今、私は、当日当夜の彼らとのステージが、確実に、時空連続体に対して明確な句読点を打ちえたのだ、そう信じている。それは、そこに実在しているのだ。
かつて、私達が見た王国が、時代が夢見た砂上の幻想にすぎなかったのか、あるいは、実際にそこにあり私達が門を叩くのを待っているのか、これが私には問題だった。そして検証の結果、私は確信した。それは常にそこにあり、私達の飛翔を待っているのだということを、である。
見に来た客の側に立っていえば、別の言い方も可能だろう。これは、モモヨが老いてすでにロックを忘れているかどうか、という言い方が……。そして、ロックは、当夜、開花した。音の王国は、そこにあった。
さらにATPとのセッションでは、二曲、ポエトリーリーディングを披露した。本来的な意味では詩の朗読、いわゆる詩人のライブ、詩の朗読会などもこう呼ばれる。しかし私の場合は違う。バンドのサウンドに呼応してインプロヴィゼーションで歌を吐き出していくのである。バンドがリフを奏で、私が歌を紡ぎだすというのが、十代からの私のロックだった。むろん、そんなものだから、なかなか理解者を得ず、当時はライブの場すら得がたく、大手ライブハウスは当然力になってくれない。ユニバーサルミュージック現社長の石坂氏が力になってくれなければ、とうていライブなど続けてこれなかったろう。現場に立ちあった人々は詩の誕生の場所を目撃することになる。むろん、霊感が訪れないスカ状態に欠伸をかみ殺す結果になる危険は常にある。
しかし、その夜は全てが上手くいったのだ。それも、かつてないほどに明晰なカタチで立ち現れたのだ。ファンの多くは、目の前のバンドがインプロヴィゼーションで演奏しているとは思いもしなかったらしい。この事実が全てを語っている。三月二十四日、桜の花しべが降り始めた夜。音世界も開花し、王国が現成した。私の生涯でも、これほど、明晰な手ごたえのあるライブは稀だ。
ところで、ライブの後で、興味深かったのは、ロックファン、とりわけ若きロック少年が私のポエトリーリーディング、詩のインプロヴィゼーションに反応したことだ。曲を気に入ったとか、興味を持った、今まで見たことがないというメールを多くいただいた。私には、当然のプレイスタイルだが、皆が規格化、マニュアル化が進行した当今、滅びつつあるパフォーマンスなのかもしれない。
そうも思える。
これで、また一つ、やるべきことが明確になった。
二十九歳にしてボーカリストとしての己を封殺し、詩の核になるものを探して古今東西の知恵をたずね約二十年。そうした知恵が、やっと現実に作用しえるものになってきた。そんな感慨がある。願わくば、私の花を、今また新しい世代の心に伝えたいと思う。そのためには、ステージに立たなければならない。
春の嵐が花をさらっていく夜、萩原朔太郎『詩の原理』を読みながら漠然と自分の宿命に思いをいたすばかりの私だった。
スピアメン→http://members.tripod.co.jp/SPEARMEN/
流行性舞踏病のはなし
復帰後二度目のギグは、通常のカタチと異なり、私のパフォーマーとしての歴史をなぞるカタチで行われた。このことは、すでに報告した。そして、即興詩のパフォーマンスが若きファンの興味を惹いた事も書いた。
ということで、今回は、その周辺事情に焦点を絞って書いてみよう。……かつて、セッションによって生まれたアルバムが数多くリリースされた時代があった。
ロックのセッション、そしてインプロヴィゼーションが当然だった時代がある。
ジャムセッションというと、ブルースだとか、ロックンロールの典型的コードパターンを繰り返すものを想起する方が多いと思うが、実際には、モードやスケールによるもの、コードプログレスを基盤とするもの、あるいは12音全てを使うものなど多種多彩である。
がちがちの音楽理論が支配しているかのような西洋音楽事情においても、記譜、理論がまとめ上げられる以前は、音楽家達は、延々とセッションを繰り広げていた。これをまとめたものが音楽通論。通論である以上は普遍的原理ではさらさらなく、実際に、音楽は融通無碍。これは、当時の演奏家にとって常識であった。
(……便宜的に産み落とした通論が人のセンスを呪縛するのは、どこにでもある構図だが、いつどこで見ても、いい気持ちがしない)
ポエトリーリーディングがポップカルチュアの意識変革をうながしたのも、そんな時代だった。
同じ曲をいつも同じように歌うなんてのは、それこそカラオケ上手でもこなせる、オリジナルイメージをその日その時しか、できないような表現で、ライブ空間に立ち昇らせる、それこそがパフォーマンスというものだ……ジミ・ヘンドリックスやマイルス・ディビスといった天才がフロンティアとなり、ポップカルチャーは、それまで見えなかった世界を描き出したのである。私は、その時代に、薫陶を得たものとして、これを後代に伝える義務を痛切に感じている者である。
とりあえず、我がポエトリーリーディングだ。そのビデオクリップをリアルでエンコードしたものを私のサイト、http://www.babylonic.com/で公開している。ロックを自ら演ずる人、そして音楽に興味のある方はご覧いただきたい。また、紙に書いた文字としての詩を偏愛なさっている方もお誘いする。
→ビデオクリップダウンロードページにもポエトリーリーディングの補足説明がある。
この原稿末尾のリンクから跳べる。→ココ中の一つ、『メメントモリ DANCE TO DEATH』を例に手法をざっと説明すると、当日の朝に書いた十行ほどの散文詩をメンバーに示し、幾つかのキーワード、私の所作を場面展開のトリガーと決めておく。あとは、それにしたがってプレイするだけである。もちろん、実際にステージで私が口にする文字内容は、私の言葉に反応して奏でられたメロディ、リズムに、私が呼応することで、さらに大きくなっていく。十行の詩句は、ある意味で種にすぎない。
デジクリ読者なら今更説明の必要はないと思うが、タイトルの「メメントモリ」は、翻訳すれば「死を思え」である。これだけでも十分イメージ喚起力がある。しかし、この語だけでは、デスペラートな退嬰的な響きも免れないのである。実際には、反語的に生を照り返すためのモットーであることは、いまさら言うまでもないことだろう。DANCE TO DEATH、死の舞踏も、言葉だけでは、妙にうわついた悪趣味なヘビーメタルを思わせるが、ここでは、語本来の、中世ヨーロッパにおいて繰り返し流行した舞踏病の意味で使っている。
リザードを昔から聴いてくれているファンならいざしらず、流行性舞踏病という言葉はおなじみだろうが、一般的には耳慣れないはずである。わが国で言えば、江戸期に繰り返し流行した伊勢参り・おかげ参りなどがそれに相当する。
映画『ええじゃないか』のアレ、そう言った方がわかりが早い。
昭和の一時、原宿の歩行者天国でブームとなった竹の子族なども、社会現象として見た場合、明らかに、この流行性舞踏病として分類される。これらの現象は、おおむね、踊る本人の自覚に関わらず、体制の爛熟と崩壊に対する集団的不安の表出とされている。
中世ヨーロッパの場合、その大半はペストなど疫病流行とあいまって発生。人々は、病に没した骸を広場に集めて積み上げ、火葬にふした。その際に、生き残った人々が、焚炎のぐるりを「メメントモリ」と口々に唱えて踊り狂ったというのである。昭和末年の、竹の子なんぞでは比較にならない重苦しさといえる。日本において類似のイメージを探すなら、平安時代、大飢饉と疫病流行で市中あちこちに置き去りにされた骸を河原で荼毘にふし、念仏を申しながら周囲を巡り踊ったという空也上人の踊り念仏……この方が適切なイメージを喚起するだろう。
本来的に、踊り、舞踏は呪術の重要なエレメントといえる。法悦に自我を没入しさり、自我と法悦の境を見失い、その果てにカタルシスを得る。これは身勝手な精神論では決してない。フィジカルな方面からも理論的に推察できるものである。例えば、マラソンランナーなどが、苦痛の、とある一線を越えると歓喜に満ちた光輝の境に入ることがあるという。いわゆるランナーズハイである。死の舞踏と呼ばれた中世ヨーロッパの舞踏病では、皆が口々に呪詞を繰り返す。単なるリズミカルな呼吸法ではない。意味がある。メメントモリメメントモリメメントモリ……死を思え、死を思え、死を思え……となれば心に及ぼす影響は、はかりしれない。
カタルシスとは、文字通り、浄化の謂いである。不安を浄化するには踊るしかない。自ら踊りに身を参入させるしかないのである。
こうした例を見るにつけ、舞踏病は、本来、人類共通の病であるように思われる。今日、我々の世界でそれが目立たないのは、コンサート会場やテーマパークなど、あちこちで連日開催されるイベントの中に、日常的にガス抜きシステムが用意されているからではないか。そして、構造的不況から抜け出せないでいる現代日本にあって、そうした業界のみ、やけに景気がよさそうなのは、多分、静かに、そして深く、新たな舞踏病が拡がりつつあるからなのだろう。さすれば、すでに、あなたも、そして私も、流行性舞踏病の最中に巻き込まれているのかもしれないのである。
……そして、当人の知らぬ間に、潜在的不安や凶兆に対する予感はクリーニングされてしまう。それが未来から見た、二十一世紀初頭、日本の舞踏病なのかもしれない。
舞踏病に踊りこむのであれば自覚的に没入したい、と常々思っている私は、呪詩に没入する我が身をリアルプレーヤーの小さな画面に見て、ほくそえむ。彼方へ踊りこめ、子供達よ、そう彼は歌っている。
※ライブクリップのダウンロードページはこちら
ポエトリーリーディングの補足説明あり
注 記
※【踊り念仏】(をどりねんぶつ)名 太鼓、鉦(かね)をうって、踊りながら念仏すること。空也上人に始まるという。
→【念仏踊り】(ねんぶつをどり)名 空也(903−972)、一遍上人(1239−1289)らが始めたと伝えられ、念仏を唱え、鉦、太鼓、瓢(ひさご)などを鳴らしながら踊る。中世以降流行し、後に盆踊りとなり、女歌舞伎にも取り入れられた。踊り念仏とも。(以上、旺文社の古語辞典による)※【Dance To Death】【The Dance Of Death】
下に掲載した図版は、ハンス ホルバインのもの。タイトルは、The Dance Of Death。
この死の舞踏、当然ながら聖書に由来する物語ではない。キリスト教と土着の信仰が出会い、その相克の中で生み出されてきた習俗であろう。教会、修道院を中心に拡がっていることに明白だ。そのため汎ヨーロッパ的現象なのである。呼称も様様である。例えば……
→ 【Danse Macabre】複数形はDanses Macaberes:
歴史上のそれを表現する場合、あるいは、中世に流行した、死神が人を墓場に導く様を演じる舞踏劇を意味する言葉だが、これもまた『死の舞踏』である。macabreには、不気味なとか、ぞっとするとかいう意味があるが、「死の舞踏の……」という広汎なイメージを含む形容詞としても使われる。

【付記 その壱】
ちなみに、私とATP共通の友人にセルペンタインというカナダ人のボーカリストがいる。彼女は、自らの表現形態をトーチマキャベルと呼んでいる。一説によると、ジャズシンガーの、なかでもダークなバラードを得意とする歌姫達の世界をこう呼ぶことがあるらしい。
このトーチは松明、マキャベルは死の舞踏のであるから、死の舞踏を先導する灯明とでもいう意味なのであろう。死の舞踏のパレードの先頭に立ち、松明を掲げ持つ黒衣の女性という感じだろう。セルペンタインつまりサーペンタインが、そもそも、サーペント=蛇である。死と生の円環を繋ぐものである。死の彼方の生。これを見失わないこと。【付記 その弐】
死神、疫病、舞踏、というとエドガー・アラン・ポーの短編『赤死病の仮面』を思い出す方も多いだろう。死神が仮面舞踏会に紛れて城に侵入するアレである。史実では赤ではなく黒だ。黒死病、つまりペストである。この短編小説は、まさにゴシックロマンスの先駆であり、この小品にショックを受けた人も多いはずである。かくいう私が、中学生になったばかりの頃にこれを読んで、致命的な影響を受けた。