僕達が何かを想い出す時、それは、いわば形をもたぬ混然としたものとしてである。ある事物が頭には浮かんでいるのだが、その名称が口に出て来ない時など、過去の糸クズである記憶をときほぐし、順をおって想起していくことで、その名を再生することができる。それは、人が過去を瞬時に、ひとつの総体として想起することを示している。
 糸クズが何らかの形〈カタチ〉を有する時、僕達は、それをイメージと呼ぶ。内部にあるイメージを他者に伝える際、もしくは、自分自身の内側で事象の明確化をはかろうとする時に、僕達の内部において、前述の線形化がおこなわれる。文章化は、その典型的作業といえる。
 それによらず、アイデアの本然をその中核に存在する言葉そのもののエネルギーによって伝達しようという試みが詩であるとすれば、今日のようにイメージの拡散した時代、単語の意味が学術的厳格さで定義される時代に、『詩〈うた〉』のイメージ伝達能力が弱まるのは当然の結果といえる。そして、僕達相互の距離は増大し、その孤独は、より深刻なものになっていく。
 話をもとにもどそう。
 さきほどの線形化という作業は、人類にとって本来的なものではなく、いわば二次的なものである。僕達は生来‘論理的’な思考の所有者ではない。

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