そのように思考するためには熟練を要する。文章ひとつ書くにも、ある程度の訓練が必要とされる。あらゆる学習は、線形的思考法習得をその目的とする。
 そして、線形思考法が発達するにつれ、いつしか、僕達の内部において、‘方法’の支配度がたかまり、かつて手段であったはずの思考法は‘目的’と化してしまった。論理的な、理にかなう思考法、つまり科学的な推論、演繹〈えんえき〉に、近代は絶対的な権力 を与えた。論理的な整合感を持たぬ論は迷信や狂気の名において断罪され、ついには、最初にあった、もつれた糸クズは、その存在すら忘れられた。
 もちろん、真にすぐれた科学者や文学者がそれを忘れるはずもないが、多くの者が線形思考の狂信者となった。論理的、科学的思潮の大安売りが行われ、人々は「全ては線形でなければならない」と いう強迫観念にとりつかれた。歴史も時間軸にそって再構成され、物事の継起には必然的な秩序(順列)というものが与えられた。
 あの有名なダーウィンの進化論も線形的歴史観のもとに構想されている。人類以外の全生物は、みごとに人類に向う線上に配置されて、全生態系の歴史は人類に集束する。人類は、地球上に住む全生命の代表であり、支配者であると同時にリードオフ・マンである。

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