唯美的様式美の一極点を示す師の作風に反して、ドイツ表現主義の先駆所とも目〈もく〉される弟子の美は、生の痙攣(けいれん)をともなうドロドロしたものである。そんな痙攣が、完璧な様式美の足元から飛び立ったのだ。僕は、この数年の間、何かにつけて、この二人のことを思い出し、そして考えた。脱出口はどこにあるか? 何のことはない。線形思考の内部に閉ざされていたのは僕自身である。口では出口なんか‘どこ’にだってある、とうそぶいて……。 進化とは爆発的なものである。今の僕にとって、シーレとクリムトには、何の秘密も、そして、何の奇跡もない。