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僕の体験に即して判断すると、彼女の病の根本は自らを加害者であると思い込む「さかしらさ」にある。自らを、人類を、そして現代文明を、全世界の最終的に帰結する場であると信じることにある。魚も何物かを口にして成長し、魚肉は彼女の骨肉と化す。彼女の髪やツメには、すでに大地に帰したものもあろう。百年のうちには彼女の全存在すら空にとけ込んでしまう。そう、確実に。
僕達は神ではない。魚類や花々同様、地球の一部分、宇宙の一細胞、一時節なのだ。無常を観ずるとは、こうしたことだろう。
この世は無常である。ゆえにすべての人為的創造は無意味であり遊〈すさ〉びである。僕は人の主張する「滅亡の美学」なぞ容易に信じられない者だが、自分が日々、滅亡に向っていることは何とか信じられる。また、滅ぶがゆえに無意味な生をそのまま無価値にしてはならぬと思う。「すさび」をよりいっそう遊〈すさ〉ぶこと、より高次の遊びに全人生を賭けること−−−と、これもまた無常感のもたらす一風光〈いちふうこう〉である。かろうじて僕がロックという一筋〈ひとすじ〉につながっていられるのは、このような観相による。
音楽は「遊〈スサ〉び」である。我が国において、古くは上代に管絃歌舞の類〈たぐい〉を「遊〈ゆう〉」といい、中世では管絃を御遊といったように、音楽は遊びの一大展形であり、英語において動詞にPlayを用いる、ということは、スサビ=〈イコール〉音楽ということが古来より人類共通の常識だった、そういうことになりやしないか。
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