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ホイジンガは著書『ホモ・ルーデンス』の中で遊戯を人間の一大特性としてあげている。その代表が音楽であり、日本語で「遊〈すさ〉び」を「荒〈すさ〉び」と書くように、それは無為のチャンピョンでもある。
音楽の無為は明白だ。だが先に記したように、より大きな時空を思い描いて、そこから人の営みを見下した時、僕達の有為と信ずることごとくが意味を失ってしまう事も考えねば片手落ちというものだ。この世のあらゆる事物が無意味といえば無意味、また意味があるといえば意味があるのではないか。そう考えるのも根拠がないことではあるまい。
‘たかが知れている’日常に心の内奥で悲鳴を上げているのが人間である。‘たかが知れている’問題が、その実、何も知られてはいない。その中で息をしている僕には、日々を生き、僕自身のロックを生き終えることに夢中でいるより他にない。どちらにしても時は流れていく。
たかが音楽、それも西洋かぶれの半キチガイどものそれ。おうおうにして若気の至りとして忘却される軽音楽云々〈ウンヌン〉。
パンクにせよロックにせよ、一般人の眼にはそう見えているはずである。
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