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LIZARD
ファーストアルバム

New Kids In The Cityについて
 この曲がリザードのファーストアルバムでトップを飾ったのは、けして偶然ではない。この曲は、その歌詞におけるマニフェスタという部分がこれまで知られているが、実際には、曲のカタチ、アレンジ面でのそれについては、海外のアーティスト、例えばトム・ロビンスンなどを除いて、これまで話題に上ったことはなかった。トム・ロビンスンが指摘したのは、バスドラが速い4ビート/あるいは8ビートをひっぱるドラムパターンである。ベルがドラムを担当した一時期、このハンマービートがライブパフォーマンスを特徴付けていたのは、間違いないが、私が、今、告白するのは、そのことではない。
 通常、音楽ファンは歌詞とそのメロディを語ることを切り口に作品を物語るものだが、この曲については、その出来上がり方がまず異なっている。それは、作曲者の私が言うのだから間違いがない。では、どのような、カタチでこの曲が作られたのかというと、最初、私の頭に浮かんだのは、ゆったりしたキーボードのメロディ、イントロからオブリガートで奏でられるメロディだった。
 この時期といえば『未知との遭遇』であったり『スターウォーズ』が製作公開された時代である。元来、SFファンだった私は、この二つを当然見たわけだが、その中で『未知との遭遇』におけるシンプルなフレーズ、宇宙船と地球人が交信する際に使用されるあのシンプルなフレーズが、映画を見た後も、私の頭を去らなかった。その影響下で、この曲のイントロは着想された。しかし、当初、あったのは、このモチーフだけだった。これをどう解釈してバンド演奏に持ち込むかは、まだ決着がついていなかった。
 そこで、次に、このフレーズをささえるベースラインについて語ろう。実際にこのベースラインを考え付くまでそうとう時間を必要としたが、、あっさりと言い切ってしまうと、ベースラインは、バスドラ8ビートの4小節単位で奏でられる予定メインテーマの時間軸を四分の一に圧縮したものである。通常、テープなどで再生する場合、時間軸が速くなれば、それだけピッチがあがる。それが普通である。実際のところ、私は、低弦で演奏される主題をそのまま時間軸圧縮してバイオリンなどのより高い音程でリフを繰り返すベートーヴェンのある曲を聴いていて、このベースを思い立ったのだ。そして、このベースの一小節単位のリフに対して、一小節をAとDふたつのコードにわけてギターでバックアップすることにしたのだ。
 アジテーションめいた歌詞や、半音上昇する転調を場面展開に使う展開部分については、その後に枝葉としてつけていったのだ。歌詞についても昔からだいぶ誤解されている。
 歌詞は『地球幼年期の終り』という有名なSFをモチーフに作られており、裏町を走り抜ける日常的な子供達の様子をヒラ歌で歌い。彼らに呼びかける(外宇宙あるいは未来からの)訪問者の声、アジテーションを転調部とより大きな展開部(急激にリズムが変化する部分)にあてている。しかし、アルバムをリリースした直後、これらを一緒くたにして、全ての言葉を私のメッセージと考えた人もおり、無差別に破壊を呼びかけているバンドだ、などと酷いことを言われもしたし、実際、そう信じてファンになった少年、また勝手に敵対した青年も多くいたようだ。いま考えれば、従来のバンド、過去ばかりでなく今日まで、私がなしたような歌詞のアプローチは、なされてこなかった。であるがゆえに彼らが理解できなかったのは無理のないことだと思う。当然のことなのだろう。今更のように思うが、東京ロッカーズだとか、パンクだとか、ニューウェーブだといったところで、しょせんは、まじわるはずがない仕事を私はしてきた。以前もチラホラとベートーヴェンがニューキッズ作曲に影響したというようなことを口にしたことがあるが、ここに書いたような整理した情報として公開してきたわけではない。なにしろ、一部の音楽評論家なぞは、こうした作られた曲もまたストラングラーズのコピーとのたまう。こうした現状には、口をあんぐりと開けるしかないではないか。
 誤解、曲解もコミュニケーションの一形態であるとはいえ、これでは、あまりに酷い。来るべき未来にこの作品にふれるであろう少年少女のために、いずれきちんと事情を書きたかった。ここには、作曲法として援用可能なヒントがあるからである。去年、旧作が再発されたことを機会に、いくつか弾琴録で書いたこともふくめ、纏めておきたいと思う。

2005年1月
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