未発表原稿
詩歌論雑記
来るべきロック考のために 1984V 魔界
ネルバルという19世紀フランスの詩人がいる。
史家によると、ある恋愛事件の果てに自死したロマン派の一詩人ということになっている。
1855年、1月26日、金曜の早朝、安宿屋前で縊死していた彼のポケットに残された遺稿を含む著作『夢と人生 あるいはオーレリア』は、実際、岩波文庫のラインアップにのぼっているので、案外、有名な詩人なのかも知れない。
その遺稿を読んで、私は近代の不幸を思った。
この中で、詩人は、眠るとともにある国の住人となる。つまり、夜毎に、現実とは違った、もうひとつの法則世界の住人となり、ついには夢と現実の区別がつかなくなる。凡庸なタイトルの意味するところは、かなりシビアな混乱といえる。つまり、夢と現(うつつ)、正常と狂気の間におちた者の悲劇である。
しかし、この書には、たしかに毒がある。それは、この作品が遺稿をふくむことから来ているのかも知れない。作品として、はなはだ未整理な状態にあり、それが詩人のおちた魔界に異様なリアリティを与えている。「ネルバルは、ある恋愛事件によって狂死した」そんな文学史家の解釈は、読者をけして安心させてくれない。
それはロートレアモンの『マルドロールのうた』と比較すると明白だ。
『マルドロール』は、芸術として、試作品として、結晶している。ゆえに、読者はそれをメタファーとして受け入れ、そこに安心することができる。ページを繰る前に読者は、自分が読むことになるそれが、ある種、現実と断絶した彼岸の物語であることを予備知識として与えられている。ファンタジーにしても、同じこと。そして、シュールリアリズムも同様に、私たちの大地、この現実が、絶対的不動のものであると暗黙の了解の上に成り立ち、ゆえに読者は安心して享受するのである。青少年に顕著な傾向だが、たとえば、彼らが日常を否定し、彼岸への飛翔を夢見ることができるのは、実は、現実のゆるぎなきことを暗に信じているからだ。自らが厭悪する退屈な日常に絶対的価値観をおいているからである。
否定しつつも彼らは現実の国土に絶対的な価値をおいている。その実存を疑うことがない。
ネルバルこそ亡命者である。
彼が喪失したのは、彼の中心たる大地、母なる祖国である。
彼には帰るべき、目覚めるべき現実がない。
この詩人にとって、現実は夢であり、夢は現実である。もはや彼に残されているのは、地上的には、滅びの道のみと言っていい。
これこそが魔界である。
こうしたわけで、ネルバルを前にすると、かのロートレアモンすら仏相をおびて見えてくる。ボードレエルに代表される十九世紀の詩魂は力いっぱい叫んだのだ。「ここではないどこかへ」と。しかし、その揺るぎなき「ここ」こそが「ここではないどこか」に変質する可能性、足元の大地が突如消えうせる可能性、その危険性には気づかなかった。かのブレヒトも演劇論の中にあって、しばしば『異化効果』という用語を使っている。かれもまた現実の不動性、絶対の法則を信じていたのかもしれない。
私には、ネルバルの病は、近代特有のもの、それも西洋文明に深く根ざしたものと思われる。
今日では、東洋もその病魔に毒されてしまったが、古代において、私達は、より健康だった。老子とならび道教の教典として知られる荘子に、これに関連した有名な話が載っている。俗に胡蝶の夢という逸話である。
荘子は、ある日、蝶になったなった夢を見た。夢の中で彼は自分の名前さえ忘れて蝶の境涯を楽しんだ。自由に空間に浮揚し、たゆたい、花から花へと飛翔する。彼は、その境涯に無心になって遊んだ。文字通りに夢中だった。が、目覚めれば、当然、人間・荘子に戻る。……そこで彼は思う。はたして彼が蝶の夢を見ていたのか? それとも蝶が彼の夢を見ているのかだろうか? いやはや、余程、リアルな夢だったに違いない。彼には本当に二者の区別がつかなかったというのである。
この荘子が抱いた『不可解』の念は、そのままネルバルの狂気の種子でもあるが、荘子の場合は神経症とか狂気、悲劇とは無縁である。かつてソクラテスは「無知の自覚」を学問の出発点としたが、この蝶の夢は荘子をして無知の自覚へと至らしめる。この逸話より、荘子の現実学、老荘思想は始まると言えるからである。そう私は解釈している。 ※原注→また、蛇足であるが、プラトンの書に見られるプシュケーと言う言葉は、魂という意味のほかに蝶と言う意味もあるという。何と言う東西の相似であることか。(原注は、全てノート余白にあるもの)
古来、東洋の哲人は、自然の生気に溶け込み、混沌をそのまま受け入れ、狂気をして天真に生きるエネルギーに転じてきた。例えば、風狂などという身の処し方もその一端であり、そこには真の知恵が存するのである。いわゆる無常観というものも果ては、この知恵に漂着する。いわゆる、とうとう天真に身をゆだねる、の境地で、夏目漱石晩年の「則天去私」という語、概念も、こうした東洋の系譜のうちにある。補注参照
そもそもが狂気とは何か?
門外漢の私に明言できるはずもないが、私なりの見識からいうならば、それは過度の正気信仰の裏返しであるように思われる。さかしらに正気に執着するところに、その狂気というものは存するのではないか?
「一期は夢よ いざ狂え」
こう歌った中世の人々に魔のとりつくしまもないのではないか。私にはそう思われてならないのである。
→補注 「則天去私」ノート末尾の補注に2002年6月追記
夏目漱石晩年の則天去私神話は、実のところはなはだあやしい。私の解するところでは、この語は漱石の弟子達が述べるような解脱の宣言ではなく、東洋の視点をもって自らの小説作法を確立しようとしていた漱石の、その極意の表明のように思えてならないのだ。漱石の『明暗』が則天去私の小説とよく言われるのだが、どう読んでも、この小説がそうした哲学的視座の小説表現であるとは思えない。そこに禅的なカラリと晴れた景色はあらわれないのである。私には、単純に、即天去私というモットーにのっとった視点で綴られた小説(三人称小説)と見るほうが自然なのだ。しかし、一般的に、この則天去私は、天に即して私を去る、ある境涯を示すものとされている。そこで、私自身も、ここでは、そのように使っている。